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ヘアーステーション ロイヤル代表
佐々木博之
理容師・美容師は、無数にある職業に中でも、数少ない「師」がつく職業です。「師」を国語辞書で調べてみました。
技術・技芸などを表す語に付いて、その技術の専門家であることを表す。「医―」「理髪―」
とあります。
理容・美容の役割は、カットやパーマのみならず、「お客様の疲れをいやし、心からリフレッシュしていただく」という社会的責務を担っております。
代表者として高邁な精神のもと十分に勉強をし、理美容師の名に恥じることなく、その社会的責務を果たして皆様のお役に立てるようにがんばりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
経歴
- 昭和47年5月仙台市生まれ。
- 仙台市立東長町小学校卒業
- 仙台市立郡山中学校卒業
- 平成3年仙台東高等学校卒業
- 平成4年仙台理容美容専門学校理容科卒業
- 平成20年仙台理容美容専門学校通信過程美容科卒業
身内に同業者多数
- 母親が八戸理容美容専門学校卒。
- 1番上の兄とその妻が福島県相馬市で理容店・美容店経営。
- 2番目の兄とその妻が仙台理容美容専門学校卒
- 従兄弟が宮城県利府町で理容店経営
- 外叔母が宮城県黒川郡富谷町で理容店経営
- 外叔母が青森県三戸郡階上町で理容店経営
特技等
- 珠算3級
- スキー検定バッジテスト3級
- 社交ダンス検定メダルテスト モダン スーパーファイナル級(最高位)
- 社交ダンス検定メダルテスト ラテン スーパーファイナル級(最高位)
- (財)日本ボールルームダンス連盟認定 社交ダンス地域指導員5級
- 社交ダンス競技会 JBDF主催 全宮城アマD級モダン優勝
- 社交ダンス競技会 JBDF主催 全山形アマD級モダン優勝
- 現在 社交ダンスサークル助手
- エムアンドベルクール株F定、まつげパーマ技術認定証(ディプロマ)取得
略歴
幼少時代
大野田保育所時代は、将来「運転手」になることが夢だった。その後小学校時代はなぜか高望みをし、「医者」へと変わった。なぜ医者かというと手術をする様子がかっこよかったからという単純な思いから。このころから親に「床屋」になれと「洗脳」されて育つ。
外食に行って話すことが「この店は資本金がいくら位かかってうんたらかんたら・・・」という経営に関する話が多かった気がした。
中学・高校時代
その後仙台市立郡山中学校・宮城県仙台東高等学校へに進んだが、この頃将来の進路は、特に考えたことはない。勉強もあまり好きじゃなかったし、頭もいいわけでもありませんでした。うちは兄弟が4人と多かったし、当時は狭い家に6人の家族が住んでいたのでとにかく一人でいる静かな時間が欲しかったです。
だから学校に行っても積極的に友達を作ろうとはしませんでしたので友達も少なかったです。
そんな感じで漠然と無駄な時間をすごしていました。
仙台理容美容専門学校時代
大学も本当は行きたくて入試も挑戦したのですが、「大学行って何になるんだ、もし行くんだったら社会人になったら大学の授業料返せよ」という親でした。
結局、親の勧めもあり仙台理容美容専門学校へ進むことが急きょ決定。
今になって思うが自分にとって「職業選択の自由」は皆無。理容室を経営することを義務付けられている人生のような気がする。
そして仙台理容美容専門学校を無事卒業しました。
理容室へ就職
私は専門学校をでてから就職したのは、東京でもなく、仙台の青葉区でもありません、宮城県の(田舎といっては失礼ですが)人口わずか2万人の七ヶ浜町です。なぜそこに行ったかというと先生からそこに行けと言われたからです。
七ヶ浜町のその理容室の求人票には確か住み込みで7万円台後半の給料とかいてありました。
先生に言われ何も分からぬまま
そこで住み込みましたが、なぜか月給は求人票に書かれていたのとは違う¥47,000でした・・・。恐る恐る丁寧に指摘致しましたが、全く聞き入れて貰えませんでした。そのため、お金がなくて国民年金もろくに払えませんでした。
安い月給でもいいから求人票に本当のことを書いて欲しかったですが、もうお店に就職してしまったあとでした。
相手がいくらお店の先生であろうと、「うそ」はいけないことだと私は思いました。
不信感を抱きながらもそのお店で、大げさな言い方かもしれませんが「身を粉にして」がんばったつもりです。
でも何だかんだいってこの経験が今の基礎になっているわけですから、それはそれでそこの先生には感謝しています。
朝7:30に寮の先輩を起こして、夜は早くて10時、遅いときは12時に仕事が終わる日々。昼ごはんは10分で胃の中へかき込まされました。トイレに長居するとノックもされました。具合が悪くなり(お店の外にでて)吐いてしまったこともありました。そして一時間以上正座させられての説教はしょっちゅうでした。
時間は楽しいときはあっという間に終わるけど、つらかったり、苦しい思いをするときはとても長く感じるものです。
その頃は24時間が48時間にも72時間にも、いやもっと長く感じたかもしれませんでした。
今では考えられないと思いますがそのような厳しい店で修業しました。
そのころ私は「ひよこ」でした。ひよことは、生まれてはじめて見るものを「親」と思うのと一緒で、それが自分の境遇だとおもってたし、最初の就職先の先生でしたので何もわからず付いて行った記憶があります。
そこのお店は七ヶ浜でも仙台のどこにも負けないくらいの繁盛店でした。
土日は、待ち時間が2時以上。朝店に来ると、お客様が待っている。そのくらい忙しい店です。
体力の限界も感じそのお店には長期間働いたわけではありませんが、そのお店でがんばったことが今の基礎となっています。
自分の店「ヘアーステーション ロイヤル」をもつ
その甲斐あって26才で独立することができました。独立することで一番大事なことは「自信」です。この自信はどこから来ているかというと、多分このような店で働いたからだと思います。
そこの先生は「目先のお金を見るな。お金は実力があれば自然と後からついてくるものだ」とうるさいくらい言われました。
19〜26歳まで紆余曲折ではあったが、技術をなんとか習得し、26歳のとき独立開業に至りましたが、当初はたった一人でスタートしました。たった一人ですので稼げるのも限られていました。厳しい経営が4年ほど続きました。
社交ダンスレッスンの日々、結婚そして美容室も立ち上げる
20歳代前半の頃、縁あって社交ダンスと出会い、周りからの薦めもあり、一時はプロダンサーを目指していました。
プロの社交ダンススタジオに5年以上にわたり毎日のように個人レッスンを受けました。
自分としてはかなりレッスン代に巨費を投じた積もりで、一ヶ月の社交ダンスレッスン費用が10万円を軽く超えたことも少なくありませんでした。総額で言うと普通に大学に行ける位かかったでしょうか・・・
理容室経営の利益すべてを社交ダンスのレッスン費と消えていく日々。 これにより結婚直前、私は全く貯金がありませんでした。
ダンスをはじめて5年を過ぎた頃から、いろいろな方々から「あなた背も高いし、ルックスもいいし、ダンスも上手だしプロになってみたら?」とかメダルテスト(社交ダンスの技術検定)の会場で知らない人から、いきなり「是非プロの先生になって私に教えて下さい」とかだんだん言われるようになってきました。
しかし、背の高いことが反対に災いしてか、身長のあうダンスパートナーにめぐり合うことができずにいました。それと
一流のプロダンサーになるためには、さらに何千万円ものお金をレッスン代に費やし、さらにプロのダンススタジオにスタッフとして入る必要があります。
つまり、プロの社交ダンス教師になるには、理容室の廃業をしなければいけないということです。
そうなるとここまで来た理容美容専門学校をでて、理容師の修行の苦労はなんだったのかと考えるようになり、
結局プロ社交ダンサーを断念。
しかし私は中途半端で社交ダンスを辞めるのが絶対にいやだったため、社交ダンス検定の最高の級「スーパーファイナル級」を取得しました。
恩師に今までのお礼の気持ちを「教室の15周年記念パーティーにデモンストレーションとして参加」する形で恩返しをして、それを期に社交ダンスはひとまず休止。
あとぐされなく、きれいにけじめをつけました。
その頃、現在の妻である美容師と知り合うチャンスが巡ってきました。美容師の妻と結婚し堅実な理容室・美容室経営に徹することを決意。
結婚をして急遽、理容室の店舗をDIY改造して美容室の営業許可もとり女性客も徐々に増えてきました。
このように言い過ぎかもしれませんが、貴重な時間・お金を全てダンスに費やす「ダンス貧乏」をいやなほど味わった20歳代はおわりました。
そして現在
その頃ロイヤルのHP(2002年5月開設)を独学で立ち上げ、理容室経営もHPのアクセス数も徐々に伸びてきました。
現在では理容室・美容室HPでは東日本NO.1のアクセス数を誇るサイトに成長しました。「一人の仕事量は一人」。「二人の仕事量は三人」といわれるように、お客様の受け入れ態勢もかなりよくなりました。
更新のみならず、相互リンク型 全国理容・美容室リンク集を運営しているが、「中国株式投資家」としての顔もある。
もちろん全体から見れば「すずめの涙」ならぬ「小指の爪の垢」程度の投資額ではあるが、日々の株価が気になる毎日。
スタッフ紹介
ヘアーステーション ロイヤル
チーフ アシスタント 佐々木 美乃里
当店では男女問わずご利用できます。
ご来店心よりお待ち申し上げます。
経歴
- 昭和52年宮城県白石市生まれ。
- 平成8年宮城県白石女子高等学校卒業
- 平成9年中央理容美容専門学校卒業
特技
- 書道
- 文部科学省認可 (財)民族衣裳文化普及協会 きもの着装技術師三級
- エムアンドベルクール株F定、まつげパーマ技術認定証(ディプロマ)取得
略歴
父親が郵便局勤務の公務員の家庭で育ち、高校時代にこの業界を志す。ちなみに姉も公務員(保育士)
宮城県白石女子高等学校を卒業後、中央理容美容専門学校へ進学。その後
仙台の理容・美容室「ブロッコリー」で修行。
その後知人を通じてロイヤルの店長佐々木 博之と出会い結婚し、5年間務め上げた修行先を「円満退社」し、ロイヤルの一員となる。
子育てを両立しながら、着付け・アップセット等を中心に日々研究に余念がなく、多忙な毎日を過ごす。
ヘアーステーション ロイヤル
アシスタント 齋藤 琢磨(さいとうたくま)
理容という職業を長く続けていきたいと思い、そういった技術だけでなく精神も学びたいと思いますのでどうぞ宜しくお願いいたします。
経歴
- 昭和61年11月福島県生まれ
- 梁川町立梁川中学校卒業
- 福島県立梁川高等学校卒業
- 仙台理容美容専門学校卒業
略歴
私は福島県伊達市梁川町の普通の共働きの家庭に生まれました。
中学の頃の夢はバンドのギタリストで、当時hideと言う歌手が好きで、彼がギタリストだったからでした。
高校生になりバンドマンは諦めましたが、hideは相変わらず好きでした。
彼は家が美容室だったので美容の資格も持っていました。
元々私は天然パーマを気にしていて、それをどうにか出来てしまう理容・美容の人達を尊敬していたので、次の夢は理容・美容を目指しました。
現在、仙台理容美容専門学校を卒業し、一人前になるために日々頑張ります。
将来は理容師としてだけではなく人間として評価される理容師になりたいですのでどうぞ宜しくお願いいたします。

