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オーナー
理容室ロイヤル・美容室ロイヤル代表 佐々木博之
略歴
- 仙台市立郡山中学校卒業
- 宮城県仙台東高等学校卒業(2回生)
- 仙台理容美容専門学校
- 理容科専門課程卒業:管理理容師資格
- 美容通信科程卒業:管理美容師資格
- 専門学校日本デザイナー芸術学院 写真映像科講師(専門学校からスカウト)
- 東京通信大学 情報マネジメント学部 情報マネジメント学科 2021入学、2024年3/31 (3年次終了時点 126/124単位取得済 ) *在学中に上級情報処理士取得
- SBI大学院大学 経営管理研究科アントレプレナー専攻に在学中
資格
- 管理理容師資格(国家資格)
- 管理美容師資格(国家資格)
- フォトマスター検定1級
- フォトマスターEX
- 上級情報処理士
- 一等無人航空機操縦士(国家資格)
ご挨拶
ご利用ありがとうございます。理容・美容室ロイヤルオーナーの佐々木博之と申します。自己紹介からさせていただきます。
1972年、サラリーマンの家庭に生まれ、両親が共働きでしたので保育所で幼少を過ごしました。パズルやものを作るなど細かい作業などが好きで、ダンプの運転手になりたいと思っておりました。
小学校ではとても楽しい思い出が多く充実していた記憶があります。クラスの投票で学級委員に選ばれたこともあり、うれしく思いましたが、始業式や終業式で全児童の前で言葉を述べるときは荷が重く、何を言えばよいのか分からず父親に原稿を書いてもらいそれを棒読みしたり、運動会では校庭の檀上側に立ってラジオ体操をしなくてはならないことがありましたが、正直なところラジオ体操はよくわかりませんでした!(笑)まさか、担任に辞退しますとは言えないので、対面している全校生徒側の動きを見て臨機応変に振りをまねて対応していた事も思い出の一つです。学級委員は子供ながら自分の力不足を感じた苦い思い出でもあります。
その後高校へ進みましたが、校風が思春期の当時の自分にとって堅苦しく肌になじまないことから学習に集中できませんでした。中退するわけにもいかず、親にも誰にも相談できませんでした。また家庭内においては裕福ではなく狭い家で家族が多く、家庭生活が平穏ではなかったため、学習に適した環境とは言いがたいものでした。
僕自身は大学進学志望ではあったものの、親が言うところ「職業教育に直結しているとは言い難い学問に貴重な時間と大金をつぎ込む大学教育」に対して否定的な考えを持っておりました。従って大学進学に対して全くもって協力的では無かったということでした。
それよりは、確実に生きていく術を身に着けるよう「手に職をつける実務教育」を受けるようにと「理容師」を指南されました。それに加え当時(1991年)の受験背景は、第二次ベビーブームの世代であり現在(2022年)の110万人と比較して当時の18歳人口は現在の1.8倍の200万人を超えておりました。それに加えて全国の大学数においても現在の800と比較して僅か6割の500しななく、今では考えられない熾烈な競争でした。
例えば直近の東北学院大学を例に挙げますと、早稲田や慶応の滑り止めの学生が受験するなど今では考えられないほどの狭い門でした。そのような背景も重なり、仕方無く大学はあきらめざるを得ませんでした。
相当な葛藤かつ精神状態も尋常ではありませんでしたが無情にも時はどんどん進みます。
そして腑に落ちない気持ちを常に抱えながら専門学校で職業教育をみっちり受けることになりました。
理容専門学校に入学して最初の授業でいきなり兵隊のように何度も接客用語を連呼されられたのは衝撃でした。夏休みは3週間しかなく学内ではアカデミックな空気は皆無に等しく、まさに職業教育の実務を短期間で叩き込むところでした。
この業界では学歴は関係ありません。
当時の理容学校の校長は中卒でした。校長の臨時講義がある時は三つ指をつく気持ちで傾聴したつもりであります。今は亡き当時の担任もたたき上げの高卒で個性的な先生ではありましたが今でも尊敬しております。皮膚科学の先生は東大の医学博士が教えに来ておりその授業は大好きでした。黒板に詳細な皮膚構造をぎっしりと板書する先生で、赤点を取らないようすべてを書き写し、30年経過した今でも大切にノートは保管しております。担任からは「高い講師料払って招聘しているのだからしっかり勉強しろよ」と言われたのが印象的です。
専門学校を卒業したらそれで終わりではありません。インターンで実務を積んで実務証明のハンコをもらわないと理容の免許はもらえない仕組みでした。しかしながら、当時はインターンの求人票には嘘の給料が書かれており、実際にインターン就職したら最低賃金を下回る月給を支給され、そこではじめて求人票に書かれていた額は嘘だったのだということが横行しておりました。
自分の身分はインターンで、業界の底辺に位置するのは認めますが、それに応じた月給ですので当然ながら低賃金は致し方ないことは理解できます。しかしながら最低賃金以下という法に抵触する月給をしかも嘘をついて何食わぬ顔をして支給するのは違うと思いました。
嘘を書いても、免許のために辞めることはないだろうというという業界独自の悪習があり、私もその被害者になりました。そのことをインターン先の店主に丁寧に指摘すると、いきなり激怒されたことは一生忘れることはできません。(このインターン先について詳しく聞きたい方はお店へご来店いただければ教えます♪)
仕方なく、理容免許をとらないわけにいかないので、朝から夜まで立ちっぱなしで、終業後も深夜までぼろ雑巾のように使われました。土日祝、年末年始などは一日20-30人のシャンプーで手がボロボロになり、出血が止まりませんでした、昼飯は5分以内で食べるのが習わしで、トイレも遅いとノックをされる。
先輩従業員もおりましたが、とても高圧的で価値観・考え方等、共感できることはほとんどなく、人間的に尊敬できる人格とは思えませんでした。なぜそう思ったのかと言いますと週一の帰省に車が必要ということで、親の知人が13年落ちの車検切れの古い車を手放すということで、それをもらう機会がありました。
それをインターンの寮に乗っていったその翌日、先輩に呼び出されて「車を持ち込むとは生意気だ」というこでいきなりビンタを貰いました。スープラやスカイラインを持ち込んで生意気だと言われるのなら分かりますが、パワステもパワーウィンドウもエアコンもないボロのマニュアル車に対して、生意気だとはおかしいと思いました。ボコボコに殴り返して再起不能にしてやろうかと思いました(!)が、これらが原因で退店となると理容免許も遠ざかるどころか、刑務所行きとなります(笑)。従ってここでは我慢して堪えることにしました。
インターン先をおしなべて言いますと強制収容所のような過酷な生活でしたが、免許をとるまでの一年半歯を食いしばって頑張ることにしました。免許を取得後もその店で頑張るつもりでおりました。
しかしながら、そのインターンも突如終焉を迎えることとなりました。
ある日その先輩従業員の言動から、何かが吹っ切れる感覚が突発的に発生し、その理容店に見切りを付ける決断をしました。その日のうちに荷物をまとめて店を離れ、私のインターンはこの日をもって終了しました。「お世話になりました。失礼します」と告げ、店を後にする際はこの後どうなるのか不安な気持ちではありました。
5年修行するつもりがたったの1年半で実家に帰るということになり、親には申し訳ない気持ちがあったりと何を言われるのか不安でしたが、実家につくと親が温かく迎えてくれたのは意外でした。数か月体を休め、再就職先を探すことになったわけですが、手足の鎖がはずされすべてが自由になった感覚でした。
その後、理容中間生となり最後は技術者となっていくわけですが、その成長の過程で色々なお店を渡り歩かせていただきました。理容とは全く関係ない業種でも働いてみました、離れることで理容を客観的にみることもできました。また、理容店それぞれのお店での独自の営業法・効率・技術・施術法があり、良いものだけを沢山吸収することができました。そのことが現在の多岐にわたるメニュー展開の布石となっております。
以上のように、一人前にはなるには長いトンネルがあったわけですが、その中で感じたことは「学校で勉強するだけが勉強ではない」ということです。働くという感覚ではなく、実地修であり毎日の一つ一つが貴重な経験であり勉強だったということです。
おかげさまで独立開店から20年以上が経過し、営業を続けられることはひとえにお客様のおかげであり感謝しております。
なお、理容師・美容師という職業は、無数にある職業の中で数少ない「師」がつく職業です。「師」を国語辞書で調べると 「師」とは技術・技芸などを表す語に付いて、その技術の専門家であることを表す。「医―」「理髪―」
とあります。理容・美容の役割は、カットやパーマのみならず、「お客様の疲れをいやし、心からリフレッシュしていただく」という社会的責務を担っております。
代表者として高邁(こうまい)な精神のもと十分に勉強をし、理美容師の名に恥じることなく、その社会的責務を果たすことはいうまでもありません。
私は、高校卒業後、専門学校を(理容科・美容科と)二回卒業しましたが、学びに歳は関係ありません。自分の名前は「博之」と書きますが、名づけの由来は博士のように豊かな知識を持つ人生を送ってほしいということから名付けたと親から聞かされております。
それが伏線になっているのかどうかは分かりませんが、現在は大学の理工系学部で、IT技術やコンピュータープロブラミング・C言語など勉学に勤しんでおります。また、写真検定において指導者資格であるフォトマスターEXを取得して写真専門学校で教師を務めております。またフリーのカメラマンとしても活動しており、大手通信社からの依頼・受注でスポーツ写真がヤフーニュースなどに掲載されるなど少なからず社会のお役に立てるよう頑張っていると自負しております。
ここまで長々と読んでいただきうれしく思います。
ちょっと変わった理容・美容師かもしれませんが、ぜひご来店のほどよろしくお願いいたします。お客様との出会いを楽しみにしております。
取得資格
身内に同業者多数
- 母親が八戸理容美容専門学校卒。
- 親戚が福島県相馬市で理容店・美容店経営。
- 親戚が宮城県利府町で理容店経営
- 親戚が宮城県黒川郡富谷町で理容店経営
- 親戚が青森県三戸郡階上町で理容店経営
スタッフ紹介
美容室 ロイヤル
佐々木 美乃里
当店では男女問わずご利用できます。
ご来店心よりお待ち申し上げます。
経歴
- 昭和52年 宮城県白石市生まれ。
- 平成8年 宮城県白石女子高等学校卒業
- 平成9年 中央理容美容専門学校卒業
- 平成10年 美容師免許取得
- 平成15年 管理美容師資格取得
- 平成14年 エムアンドベルクール㈱認定、まつげパーマ技術認定証(ディプロマ)取得
- 平成23年 東綾子 きもの文化学苑 師範科一級
- 平成25年 全日本美容生活衛生同業組合連合会
全美連評価認定制度 メイクディレクター1級取得 - 平成25年 JNA(日本ネイリスト協会)ジェルネイル技能検定 ベーシック取得
- 平成25年 ジェルネイルアカデミー Bella Forma JAPAN(ベラフォーマ・ジャパン)主催 ディプロマ・アドバンス取得
特技
- 書道2段
略歴
父親が郵便局勤務の家庭で育ち、高校時代にこの業界を志す。ちなみに姉も公務員(保育士)
宮城県白石女子高等学校を卒業後、中央理容美容専門学校へ進学。
着付け・アップセットなどもこなすなど守備範囲は広い。日々研究に余念がなく、多忙な毎日を過ごす。
- 022-308-6446
- 受付時間 8:30~19:00
- 24時間ネット予約
- 当日予約は直接電話で予約をしてください。
- 所在地案内:〒982-0004 仙台市太白区東大野田2-15
- 太子堂駅徒歩10分 長町駅+バス5分 駐車場4台有
*料金はすべて税込表記となっております。