毎度ありがとうございます。仙台市太白区の理容室・美容室ロイヤルです。
以下、東日本大震災の記録として、撮りためていた写真(名取市など)を公開します。
震災から年月が経ち、街は少しずつ復興している。しかし、この光景を忘れてはいけないでしょう。
災害の教訓を未来へと伝え、防災の意識を高めることが、私たちにできることの一つであります。
東日本大震災の記録 - 被災地の光景と思い出
地震発生直後の道路(写真1)
津波地域を横断する仙台東部道路の電光掲示板には「地震」の警告が表示され、制限速度が50km/hに規制されている。この直後、多くの道路が崩壊し、交通は寸断された。被災地へ向かう道も不安定な状態だったことが伝わる。
津波により破壊された街(写真2)

広がるがれきの山。住宅や車、そして船までもが打ち上げられ、津波の破壊力の凄まじさを物語る。かつては穏やかな町並みが広がっていたはずだが、その面影はなくなってしまった。
海から押し寄せた船(写真3)
津波によって住宅街にまで流されてきた大型の船。信じられない光景だが、これが現実だった。遠くでは黒煙が上がっており、火災の発生も確認できる。震災は一瞬で街の姿を変えてしまった。
停止した信号機と非常用発電機(写真4)
信号機は機能せず、仮設の発電機でかろうじて電力を確保している。ライフラインの途絶により、都市機能は完全に停止。普段何気なく利用していた交通インフラの大切さを実感する瞬間だった。
物資を求める人々(写真5)
コンビニの前に長蛇の列。物流が滞り、食料や日用品を求める人々が並んでいた。多くの店舗が閉店する中、限られた場所で必要な物を手に入れるための必死の行動だった。
避難所での生活(写真6)
我が家では電気もガスも止まったので焚火で簡易的な食事を準備した。ろうそくの明かりと薪が頼りだった。近所の親戚と身を寄せ助け合いながら生活した。
新聞は震災関連一色(写真7)
新聞で情報を得る。インターネットやテレビが使えない中で、限られた情報源として新聞は貴重だった。救援情報や行方不明者の名簿を必死に探す人も多かった。
美容室「ロイヤル」の営業再開(写真8)
震災5日後、暫定営業を再開した理容・美容室ロイヤル。電気は地震5日後に再開された。早速電気で沸かし、それをポリタンクを使ってシャンプーを提供する様子がテレビでも報道された。少しでも日常を取り戻そうとする努力の様子が放送された。
壊滅的な鉄道(写真9)
倒れた踏切、崩れた駅舎。鉄道も壊滅的な被害を受け、復旧には長い時間がかかった。日常の移動手段が失われたことで、多くの人々が困難な生活を強いられた。
がれきの山と復旧作業(写真10)
震災一か月後の名取市閖上のがれき集積場。膨大ながれきの山の前で、復旧作業が進められている。住居や店舗だったはずの建物がすべて崩れ、トラックで撤去されている。この光景は、震災の規模の大きさと、復興への道の険しさを象徴している。